人のために動くとは? 〜 プロ野球選手を育てるために

よくプロ野球選手も言うのですが、「〇〇のために」ってのはいらんっていうの。あれはなんで生まれるのか?ってことを考えてみました。

tabi-labo.com

 

結論ですが、プロであれば、チームメイトのためにって考えなくてもいいけど、ファンのためにってことは外したらあかんのかな?って考えてます。

 

プロ野球選手って誰からお金をもらっているかっていうとファンだと思ってます。(もちろん親会社から給料は発生しているのですが。)これって営業マンで言うと、お客さんですよね。チームメイトのために、俺が犠牲になってあげる、言葉では簡単だけど、いわゆる馴れ合いになる可能性だってある。だって助けた本人にどんどん負荷がかかって、自分が最高のパフォーマンスを出せないと、プロとして失格になる可能性だってあるんだから。

 

でもファンのために活躍する、勝ってファンを喜ばせる、このために自分が犠牲になるのは構わないと思うんですよね。

 

だから「〇〇のために」って言葉は、向くべきベクトルがズレると結果も変わってくるんじゃないか?って考えています。

 

中学生に教えていても、「〇〇を助けてやれよ」って言いますけど、カントクとしても向かうべきベクトルを間違って指示を出すと別の方向に行くんじゃないかな、って思います。

 

「チームのために〇〇を助けてやれよ」

 

 

 

チーム練習が効率よく動くために出された指示であればOK。

だけどなんの目的もなく「アイツ助けてやれよ」って、その子が全く自分の仕事をしなかったり、チームの仕事をサボっていたりするとかける言葉ではないんじゃないかって思ってます。厳しいようですが、そう言う子を助けていてはいつまで経っても両方が成長しない、そんな風に感じています。

 

カントクの指示の出し方、方向の示し方で、チームの結果が変わってくるので、気をつけていかないとなって思います。

 

 

www.bob-baseball.com